身原病院の歴史
受け継がれてゆく意志
episode 01
患者さんが心から
幸せになれる医療を。
昭和44年、6月2日。
身原産婦人科医院は生まれました。
スタッフはたった二人。開業者であり、前院長である身原正一と、その妻順子。
「もっと良い医療を。地域に根差した、
訪れる患者さんが心から幸せになれるような医療を。
私と妻を突き動かしていたのは、そんな熱い意志でしたね」
episode 02
二人の想い。
「一生に何度もあることじゃないんだから」
「ここでお産してよかった」
わずか9床から始まった医院。
時を置かずに、医院には患者さんが集まり始めました。
当時は産婆さんによる自宅出産が主流でした。
病院での出産も複数人の相部屋で、隣のベッドで陣痛に苦しんでいる声が聞こえるのも当たり前のような環境。
また感染防止のため、出産後にすぐお風呂に入るのはいけないとされていた時代。
そんな中、全室個室で、お湯に浸からずシャワーだけならと、病棟にシャワーを設置。また、寝間着・アメニティーといった、入院時に必要なあらゆる用品も、医院側が準備をしました。さらに、徹底してこだわられた食事の味と品質。そのどれもが、あまりにも斬新だったのです。
「新しいことをやってやろう、なんて気持ちは全然なかったです。相部屋だとゆっくり休めないし。体もすっきりさせたいだろうし。
だって出産はめでたいことなんだから、料理だっておいしいもの食べたいじゃないですか。一生に何度もあることじゃないんだから、患者さんが心から幸せになれるようにと、考えていました」
episode 03
地域のために、その信念。
そして、身原産婦人科医院に転機が訪れます。
「もはや小さな医院でお産を取り扱う時代ではない。清潔な施設、整った環境でお産すべきだ。それが広く、地域への貢献につながるはずだ……という信念が私達にあったんです。新しいことへの試みのため、患者さんにとってこうしてやるべきだといった自分の信念で進む決意をしました。でもそれは医師として、決して失ってはいけない想いだと思ったんですよ」
その強い信念のもと、昭和52年6月10日、今までの身原医院から規模を拡大し「身原病院」として生まれ変わったのです。
episode 04
死線を彷徨ったのちに。
休むことなく病院運営に没頭していた正一はある日、大病を患って倒れました。
原因は一つ。
多少増えたとはいえ、それでも少ない人員で現場を回していたことで、身体が過労に蝕まれていたのです。
「もう死ぬんだ……と思いました。一度は覚悟したんです。だからこそ生還したことをきっかけに、自分がいなくなった時のことについて真剣に考えさせられました。保険にも入りました(笑)。自分達は責任を背負っている。患者さんにとってお産とは、絶対に安全なものでなくてはならない。自分達を頼りにしてくれる多くの患者さんに対し、安心を唱えられないのであれば医者など続ける意味はない。自分だけではなく、任せられる人を増やすことが患者さんの安心につながる。そう思いましたね」
episode 05
父から子へ。
仕事一辺倒で、家庭を顧みない両親。ただ医療一筋だった両親。
大病を患った後もなお、精力的に病院経営に尽力していた父。
そんな二人の背中を見ていたからこそ、長男・正哉は大学で医療を学びました。無言の背中に両親の意志を垣間見た正哉は、現場で技術と知識を磨きました。
そして身原正哉は新院長として、正一から身原病院を受け継いだのです。
episode 06
受け継がれてゆく意志。
正哉は、身原病院を引き継いだ際、これまでの『病院』として継続するか、『クリニック』として変更するか経営者として、医師として考えさせられました。
『病院』として存続するには医療法において厳しいルールが敷かれており、医師や助産師、看護師、薬剤師、管理栄養士など多くの医療従事者を配置しなくてはなりません。
しかし正哉は、正一から受け継いだ理念で”患者さんに整った環境”を考え、周りから『クリニック』への転身を進められるも、経営的に厳しい『病院』として運営を続けることを決心。
そしてアットホームな雰囲気は残しつつ、人・設備の整った新病院を建て、女性の生涯を支えることのできる地域に根差し産婦人科医療の実現を図っています。
「時代は流れました。人も変わりました。医療も進化しました。
しかし変わらないものがあります。
もっと良い医療を。地域に根差した、訪れる患者さんが心から幸せになれるような医療を。
その意志だけは、どんなことがあっても決して変わることはないでしょう」
二人が頑なに握りしめていたバトンは今、
次代へと手渡されました。